1

松阪市に横たわる静かなる危機

公開日更新日

CRAFTRIPライター

河合 雅士

「松阪牛」という追随を許さない地域ブランド

⸺“松阪(まつさか)”という地名を聞いて何を思い浮かべるだろう?

おそらくほとんどの人が「松阪牛」をイメージするのではないだろうか。黒毛和牛を代表するブランドとしての知名度は国内随一で、松阪が誇る他の要素をかき消すほどに存在感は抜群。地域外の人たちにとっては、最高級松阪牛に舌鼓を打つことが松阪の地を訪れる大きなきっかけになっている。松阪市民を対象とした「松阪市市民意識調査結果(令和3年度)」にて、「もし、あなたが観光客などから松阪市のことをたずねられた場合、何を紹介(自慢)しますか。」という質問に対して、69.8%の人が「松阪牛」と回答しているように、市民にとってもかけがえのない存在となっている。

このように、松阪市が持つ地域ブランドの中には松阪牛に比肩する存在は現状見当たらない。同じ食という点に絞れば、最近では鶏肉を網焼きにして味噌ダレで食べる「松阪鶏焼き肉」が有名バラエティ番組やドラマにも取り上げられ、注目される機会に恵まれても、全国的に定着するに至っていない。山越畜産が長年の研究の末にたどり着いたブランド豚「松阪豚」は松阪市内で新たに知られるようになってきたものの、地域ブランドとしてはこれから飛躍を目指すフェーズである。

認知度や成熟度に差はあったとしても、松阪市には牛・鶏・豚がそれぞれブランド化している“肉のまち”という側面があるのは間違いない。ただ、それを押し出したプロモーションが行われることはあっても、地域外へ知られているとはまだまだ言い難い。どうしても「松阪牛」が目立ってしまうのが実情といえる。

3つの“肉”がブランド化した経緯

ブランド化していった流れはそれぞれ独自のものとなっている。現時点での立ち位置はもちろんのこと、持っている歴史やバックグラウンドは三者三様といえる。

松阪牛に関していえば、昭和初期までは「伊勢牛・伊勢肉」と呼ばれていた時期が続いていた。1955年に宇治山田市が伊勢市と改称したことで、「伊勢牛・伊勢肉」では伊勢市が産地と誤解されてしまうとの懸念が生まれ、そこで当時の家畜商や精肉店が協議し、「松阪牛・松阪肉」の名称で統一することに。それに合わせてどのような肉を松阪牛・肉と呼ぶのかを1958年に創設された「松阪肉牛協会」によって規定された。これが松阪牛のブランド化の先駆けである。以後和牛ブランドのトップランナーとして長きにわたってその地位を守り続けている。

一方で松阪鶏焼き肉や松阪豚がブランド化されたのは、松阪牛に比べればここ最近のことである。松阪鶏肉焼き肉は半世紀以上前から松阪市のソウルフードとして地元の人に愛されていたのにも関わらず、地域外の人にはそれほど知られていない。明確にブランド化されたのはここ10年くらいの話で、きっかけは町おこしだった。松阪豚も同様に山越畜産の豚は以前からごく一部の人のみが知る存在ではあった。しかし、ブランディングがされていなかった影響で市内でも知名度が低かった。そんな状況を変えようとここ数年の間に松阪豚の魅力を発信しようという大きな流れが生まれ、新たなブランディング施策が行われている。

“肉”という共通点がありながらも、地域ブランドとしての成熟度は以上のように異なっている。言い換えれば、すでに日本有数のブランド牛になっている松阪牛と比べて、松阪鶏焼き肉と松阪豚はまだまだ伸びしろ十分。松阪市の名を高める新たな存在に成長することへの期待感は、市民の中でも強いものとなっている。

松阪市にも覆う、少子高齢化・人口減少の波

地域ブランド振興は町おこしと切っても切れない関係にある。特にご当地グルメがブランド化し、知名度を上げ、地域内外へ魅力を発信することは各地で見られている。

ご当地グルメによる町おこしの成功例として有名なのは「富士宮焼きそば」だろう。「富士宮焼きそば学会」によると、町おこし活動による経済効果は9年間(2001〜2009年)で439億円にものぼり、B-1グランプリの初代王者にも輝くなど大きな実績を残している。そのため、富士宮焼きそばの事例は、食を通じた地方創生のベンチマークとして参考にするケースは多い。今回登場する「松阪鶏焼き肉」もそのひとつで、事の発端は一市民がかつては賑わっていた松阪の状況に危機感を覚えたことからだった。

あらゆる地方都市が少子高齢化、人口減少に悩む中、松阪市も例外ではない。松阪市は人口156,833人(2022年6月1日現在)と地方都市としては小さくないが、2005年の168,973人で人口のピークを迎え、その後は徐々に減少。15歳未満の年少人口の割合は2005年の13.7%から1.2ポイント減少して、2020年は12.5%に。65歳以上の老年人口の割合は2005年が22.2%だったのに対して、2020年には30.3%まで上昇している。

松阪市の年齢3区分人口推移(国勢調査をもとに作成。年齢不詳者は除く)
松阪市の年齢3区分人口推移(国勢調査をもとに作成。年齢不詳者は除く)

日本全体では、2020年の年少人口の割合が11.9%(松阪市12.5%)、老年人口の割合は28.0.0%(松阪市30.3%)であるため、松阪市はとりわけ高齢化が目立っている。年少人口の比較でいえば、松阪市の数字が悪いわけではないが、20代の人口割合を比較すると松阪市が9.2%に対して、日本全体では9.5%と逆転。進学、就職する年齢層の転出超過数が多いことが影響していると考えられる。

松阪市の転入者・転出者数(2021年、住民基本台帳より作成。年齢不詳者は除く)
松阪市の転入者・転出者数(2021年、住民基本台帳より作成。年齢不詳者は除く)

そういった少子高齢化や人口減少の実情を知った上で、取材を通じて松阪市の状況を眺めてみると、本来一番賑わっていてもおかしくない駅前の中心街が、閑散としている印象は拭えない。市民の話に耳を傾けると、以前と比べると寂しさを感じるという声が聞こえてくる。

ただ、郊外に出向けば、ショッピングモールや大型スーパーがあるため、生活する上で困るような状況にないようにも思える。今の時代、ECサイトを利用すればわざわざ外に出向かなくても気軽に欲しいモノを手に入れることができる。大都市圏へ出ていこうと思えば、アクセスは悪くない。だから、多くの市民が「昔と比較すると寂しさを感じる」という感情以上の危機感を実感する場面はそれほど多くはないのかもしれない。

そんな中でも、目の前に横たわる静かなる危機を放置はしておけないと憂い、かつての姿を取り戻そうと奮闘する人たちがいる。

松阪鶏焼き肉で町おこしをするべく、2010年に産声を上げた「特定非営利活動法人Do it松阪」である。

参考文献

同じ特集の記事