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新たな魅力発信を担う“松阪鶏焼き肉”のいま

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CRAFTRIPライター

河合 雅士

1990年代の華やかさと2000年代以降のギャップ

生まれてから今まで松阪でずっと過ごしてきた森下桂子さんの記憶をたどると、1990年代の松阪市の中心街は“寂しい”という文字が浮かび上がる余地がないほど華やかでにぎやかな思い出でいっぱいになっている。

「(松阪)駅前も商店街も、めっちゃ人でいっぱいでしたよ。休日はもちろん、平日も。学校が終われば、街中をうろうろして、ミスタードーナツやサーティワンに行ったり。服屋さんがあって、雑貨屋さんがあって、めっちゃ楽しかったですけどね」

一方で、森下さんが徐々に変わり行く街の姿を身をもって体感はしたのと同じように、一度故郷から離れた人たちも街の変化を感じていたようだ。

「進学や就職を機に、松阪が良かった時に外へ出ていって、Uターンで久しぶりに戻ってきたら、『活気が無くて寂れてしまった』と言う友達も少なくなかったですよね」

特定非営利活動法人Do it松阪の共同代表であり、創立メンバーでもある森下桂子さん
特定非営利活動法人Do it松阪の共同代表であり、創立メンバーでもある森下桂子さん

2010年ごろ、森下さんの実感に加えて、他所から松阪へ戻ってきた友人の声が重なり、抱いていた焦燥感は危機感へと変わっていった。同級生との間で松阪を憂う話題が次第に増えるようになったことで、「何かしたいな」という思いが森下さんの中に芽生えた。

「もともと国際交流のボランティアをしとったので、街の人と関わる機会も多くてね。せっかくこういう団体で活動しているし、何か地域のことをできんかなということで、町おこしをしようとなったんです。それで話し合いましょうということになって。松阪大学(2013年閉学)の教授や、当時の市長とも縁があったので、そういう人たちにも参加してもらったんです」

かつての賑わいを取り戻すために動き出した人たち

一般市民も含めて30〜40人の参加者を集め、松阪がどうしたら元気になれるのか話し合う機会を設けた森下さん。町おこしをするにあたっては、「本居宣長ゆかりの鈴を商店街中に飾る」「駅前に花時計をつくる」など、さまざまな意見が出た。その中でも最も議論が盛り上がり、その後の活動を決定づける話題となったのがご当地グルメによる町おこしだった。

「当時は富士宮焼きそばみたいなご当地グルメが盛り上がっていたということもあって、食で町おこしするのがいいんじゃないという話になったんです。それじゃあ何にしようという話になっていって」

いろいろ調べてみると、富士宮焼きそばのようなご当地グルメは、もともとあるものに付加価値を付けてPRを行い盛り上げていくということを知った。一から新しいものをつくらなくても町おこしができるということは議論を進めていく上で大きな後押しになった。

松阪市といえばやはり松阪牛だが、町おこしを目的としたご当地グルメとして売り出すには高級すぎる。松阪牛のホルモンという声もあったが、量が潤沢にあるわけではない。市内には中華そばのお店が多かったこともあり、中華そばを推す声もあったが決定打に欠けた。そうした議論が交わされる中で、一気に浮上したのが“松阪鶏焼き肉”。

「松阪の外に出た人はみんな驚くんですよね、『鶏焼き肉が無い!』って。地元にいると当たり前過ぎて、他所で食べられていないということがピンと来ないんですよ。でも、知られていないんだったら、むしろ面白いんじゃないか。松阪といえば“牛”なのに“鶏”って」

市民、教授、市長らと議論を交わし、意見をもらいながら、松阪鶏焼き肉で町おこしをすることが決定すると、新たな団体を立ち上げることに。森下さんが副代表として名を連ね、現在の特定非営利活動法人 Do it松阪(以下、Do it)の前身となる「Do it まっさか」が産声を上げたのは2010年の春のことだった(その後2016年に非営利活動法人化)。

“松阪鶏焼き肉”とは?

“松阪鶏焼き肉(以下、鶏焼き肉)”は一般的には下記のようなものを指す。

・鶏肉を網焼きにする

・味噌ダレに付けて食べる

鶏肉は地鶏である必要は無く、鶏焼き肉を提供しているお店のほとんどは産地や品種にしばられていない。家庭でもスーパーで売られている鶏肉と味噌ダレを用意して、網焼きにすれば手軽に楽しめるのが鶏焼き肉の特徴である。

長い間松阪で愛されている鶏焼き肉だが、いつごろから食べられるようになったのかははっきりしていない。分かっているのは、松阪で養鶏が盛んだったころに、卵を産まなくなった親鶏を食用肉として食べるようになったことがきっかけだったということ。味の肝とも言える味噌ダレは、親鶏の肉にある独特の匂いを抑えることを目的に使われるようになった。もともと松阪牛のホルモンを味噌ダレで食べる文化があったため、そのあたりからヒントを得たのではないかと森下さんは言う。

鶏焼き肉が食べられるようになった当時は、先述の通り親鶏の肉が食べられていた。しかし、今では親鶏にこだわることなく、ブロイラーや地鶏のさまざまな部位を楽しむことができるようになっている。

1972年に開店した「前島食堂」が飲食店として提供を始めた元祖として知られており、後を追うように鶏焼き肉を提供する飲食店が続々と松阪を中心に展開され始めた。リーズナブルな価格で気軽に楽しむことができることもあり、今では松阪市民にとって欠かせないソウルフードとして定着している。

鶏焼き肉の素人集団Do itの船出

鶏焼き肉を通じて松阪の魅力を発信すると旗揚げしたDo itの活動初期は苦難の連続だった。各地で開催されるイベントに出展することで鶏焼き肉の知名度を上げ、松阪の名前を知ってもらおうと試みたが、肝心の鶏焼き肉の出来がイマイチだったのである。

「自分たちは鶏焼き肉を食べたことがあっても、つくったことはなかったんですよね。最初は大学の学園祭に出展したんですけど、それが美味しくなかったんですよ。アンケートを取ったんですけど、もう『マズイ』の連チャンで(笑)。本当は網焼きじゃないと駄目なんですけど、この時は焼きそばをつくるような鉄板で焼いてしまったので、水分でベチャベチャになって。最初の2、3回はそんな感じでしたね」

自他共に認める鶏焼き肉の素人集団の旅立ちは、荒波の中で航海するような心地だった。活動に対して冷ややかな目線を感じたこともあった。活動を続けていけるのか不安になったことは一度や二度ではない。Do itの活動に協力的な人ばかりではなかったことも事実である。

「それはそうですよね。当時の自分たちは、周りからしてみれば何者かも分からん素人の集まりなんです。例えば鶏焼き肉を提供する店舗をまとめた『松阪鶏焼き肉とりとりマップ』というのを作ろうとして、『こんなんします、やりますか?』って言っても信用がなくて、協力を仰ぐのが難しかったんです。だから最初にマップを作製する時に協力してくれた人たちは、本当に心の広い人たちだったと思います」

ただ、捨てる神あれば拾う神あり。試行錯誤しながら地道に活動を続けていると、手を差し伸べてくれる人が現れ始めた。

「助けてくれた人の中に、相可高校の食物調理科の先生がいました。その人はもともと松阪の人で、『こんな素人みたいなことやっとたらアカン』って私たちのことを見かねて、調理方法とかを教えてくれたんです。生徒たちも活動のお手伝いをしてくれたりして、本当に助かりました」

B-1グランプリ参加を契機に存在感を高めたDo it

徐々に追い風を味方に付けながら、ハッキリと風向きが変わったと森下さんが感じたのは、初めてB-1グランプリに参加した2013年。すでにメジャーな存在となっていたB-1グランプリに参加するのは簡単なことではなかった。今もそうだが、手を挙げれば誰でも参加できるというものではない。一定の活動実績が必要となるため、Do itも活動開始後すぐにB-1グランプリへ出展することは叶わず、初めて参加が認められたのが2013年の豊川大会だった。

「この時に東海地区から初出展だったのはDo itだけだったんですよ。それでテレビ取材の声をたくさん掛けていただき、密着もいくつか入って。爆発的にマスコミに取り上げられて、注目されるようになったんです」

B-1グランプリには2013年以降も参加を続け、入賞を果たしたことも。写真は9位入賞した2016年の「B-1グランプリスペシャル」参加時のもの(写真提供:Do it)
B-1グランプリには2013年以降も参加を続け、入賞を果たしたことも。写真は9位入賞した2016年の「B-1グランプリスペシャル」参加時のもの(写真提供:Do it)

豊川大会での入賞は叶わなかったものの、これを機にDo itのことが広く知られるように。B-1グランプリ以後、定期的にDo itに取材依頼が舞い込むようになり、鶏焼き肉を通じて“松阪”の名前をアピールする機会が格段に増えた。Do it自身が普段から鶏焼き肉を提供している訳ではないため、鶏焼き肉を取材したいメディアと鶏焼き肉店のハブとして、次第にDo itは重要な役割を担うようになっていく。飲食店側からしてみれば各種媒体で紹介されることは良い宣伝になる。飲食店に対して目に見えるメリットを提供できるようになったことに加え、継続した活動で信用は固まり始め、Do itの協力店はどんどん増えていった。「松阪鶏焼き肉とりとりマップ」の掲載店舗数はVOL.1では6店舗だったが、最新号となるVOL.9では20店舗まで掲載数を増やしている。

活動を好意的に捉え、協力してくれる事業者が増えたことはDo itの一つの成果である。ただ、Do itと鶏焼き肉店が強力なタッグを組み、町おこしという側面で鶏焼き肉を盛り上げていこうという機運は、実は今もそれほど高まってはいない。

鶏焼き肉を通じて醸成されたシビックプライド

特定非営利活動法人であるDo itと、利益を目的とした飲食店とでは、鶏焼き肉に対する関わり方、考え方は大きく異なる。

鶏焼き肉店経営者が、松阪で生まれた鶏焼き肉の美味しさを他の都道府県の人たちに知ってほしいと願っていても、それが町おこしのためかといえば、おそらくその優先度はDo itと比べれば低くなってしまう。勘違いしてほしくないのは、決して経営者たちの郷土愛が低いわけではない。むしろ郷土愛が強いからこそ、鶏焼き肉をビジネスとして始めており、その魅力を松阪市民以外にも知ってほしいと願っている。鶏焼き肉を通じたシビックプライドは双方にある。

「若鶏焼肉とりいち(以下とりいち)」の看板で、三重県内に6店舗、東京都をはじめ県外にも4店舗展開している田中誠人さんもそんな鶏焼き肉店経営者の一人。

「鶏焼き肉は子供のころからよく食べていたんですけど、県外に行くと食べられないんですよね。日常の延長線上に鶏焼き肉があったということもあって、恥ずかしながら大人になってから他の県にはないということを知りました。それで鶏焼き肉という文化を広められたらなと思って店を始めたんです」

「若鶏焼肉とりいち」を経営する田中さん。現在はお客様との縁によって多店舗展開を行っている
「若鶏焼肉とりいち」を経営する田中さん。現在はお客様との縁によって多店舗展開を行っている

2007年に松阪市伊勢寺町に本店を創業し、店舗を県内外に着々と増やしていった田中さん。県外への進出のきっかけはお客様との縁だった。

「東京でとりいちをやっている人は、もともとはうちのお客様でした。うちに食べに来られた時に、『美味しかった、これはぜひ地元でやりたい。ぜひ暖簾分けをしてほしい』と言われたことが東京進出のきっかけだったんです。いま10店舗をある中で直営店は本店と上川店の2店舗、残りの8店舗中7店舗はうちのお客様だった人たちがやっているんですよ」

鶏焼き肉店を多店舗展開しているケースは珍しいが、とりいちの田中さんと同じように、「地鶏屋」のブランドでフランチャイズ展開の鶏焼き肉店を経営している橋本博貴さんも、県外に進出したきっかけはお客様からの願いを通じてのことだった。

「『赤かぶ』という居酒屋もやっているんですが、そこに鶏焼き肉を食べに来てくれた兵庫県のお客様が、定期的に仕事で松阪にいらっしゃる方だったんです。その方の親父さんが松阪生まれという縁があったせいか、『半分は松阪の血なんや』って、次第に松阪への思いが募っていったみたいなんです。それでソウルフードである鶏焼き肉を兵庫に広めたいということで、お店を出させてほしいという風に頼まれて。今みたいにフランチャイズ展開する前の話でした」

「地鶏屋」や「赤かぶ」などの飲食店を経営している橋本さん。市内のショッピングモール内のフードコート内にも出店(地鶏屋きっちん)している
「地鶏屋」や「赤かぶ」などの飲食店を経営している橋本さん。市内のショッピングモール内のフードコート内にも出店(地鶏屋きっちん)している

鶏焼き肉を地域外へ出店する難しさ

鶏焼き肉を再現するハードルが高くないことは、全国展開する上では大きなメリットになる。扱う鶏肉に制約はないし、焼き肉店に要求される一般的な設備があれば開店する体制は整う。後はお客様を満足させるタレさえあれば、鶏焼き肉店としてオープンすることは可能となる。肝となる鶏焼き肉のタレも、「とりいち」や「地鶏屋」のフランチャイズ制度を利用すれば同じものを使用できるし、Do itの認定店としての要件を満たせば、Do itが開発に携わったタレの提供を受けることもできる。

ただ、松阪以外で鶏焼き肉店の商売をしようとした場合、知名度の低さが大きな障壁となってくる。

「松阪では日常に入り込んでいるので知名度は抜群ですけど、県外となるとほとんど知られていないですからね。仮に知っていたとしても、県外の人が遠くから観光で松阪に来て食べるのと、地元で食べるのとでは意味合いが変わってくるのかなと思います。だから、県外での出店はスタートダッシュが苦労しますね(とりいち 田中さん)」

また、リーズナブルで楽しめる庶民のグルメという消費者にとっての大きなメリットは、客単価が上がりづらいという経営課題にもなってくる。ただ、鶏焼き肉が鶏肉の産地や品種にこだわらないというのを逆手に取る形で付加価値を付け、客単価を上げる取り組みをしている店が幾つかある。とりいちもそんな店の一つである。

「もとはと言えば、アニマルウェルフェアを考えながら、健康で安全で美味しくて、というのを目指し、とりいちオリジナルの松阪地鶏を生産するようになりました。地鶏はブロイラーよりも飼育にコストが掛かるので、お値段にも反映されてしまいますが、結果的に単価を上げることにつながります。売上金額が上がれば継続した経営を叶えることができるんです」

交差する鶏焼き肉への思い

地鶏で鶏焼き肉を提供するというのは、付加価値を付けるための答えの一つとなっている。Do itの森下さんのもとにも、ブランド力を高めていく上で松阪の地鶏をもっと活用すべきではという声が届いている。

ただ、普及という観点で見れば、必ずしも王道とも言えないのが実情だ。より多く人に食べてもらうためには安価である方が望ましいし、松阪地鶏を確保することが新規開業への障壁となってくる可能性がある。そのためメリットがあることは理解しながらも、「鶏焼き肉に地鶏を」と声高に言えない難しさがあると森下さんは感じている。

「鶏焼き肉店」も「Do it」も、より多くの方に鶏焼き肉の素晴らしさを知ってもらいたいという思いは一緒である。

・たくさんの方に美味しい鶏焼き肉を食べて喜んでもらうことが一番大切で、各地域への出店を加速させるためにも既存の店を繁盛させて、経営基盤を整える必要があると考える、鶏焼き肉店側。

・鶏焼き肉を普及させた先に、松阪市を盛り上げるという目的がある、Do it。

非営利活動法人と営利を目的とする飲食店では、目指すべき同じステージが存在していても、それぞれ活動を行う上での優先度に差はあり、着地点が異なってしまうのは自然なことである。

そんな中でも、鶏焼き肉の魅力を伝えたいという共通の思いのもと、時にはDo itと鶏焼き肉店が一緒に動いたからこそ、今日の鶏焼き肉があるのは疑いようのない事実だろう。鶏焼き肉の注目度を上げたDo itの貢献度の高さは、関係者であれば誰もが認めている。実際に、Do itの活動に感謝する声は「とりいち」の田中さんや「地鶏屋」の橋本さんなどをはじめ、取材を通して数多く聞こえてきた。Do itとしても、鶏焼き肉を通して町おこしをするためには、松阪市内にある鶏焼き肉店の存在は欠かせない。時には厳しい状況下に置かれながらも、経営を続けてきた鶏焼き肉店への感謝の念がDo itにはある。

コロナ禍以降イベントへの出展を控えていたDo itだったが、最近は情勢を考慮しながら再び活動を活性化させている
コロナ禍以降イベントへの出展を控えていたDo itだったが、最近は情勢を考慮しながら再び活動を活性化させている

立場による垣根を越え、誰もが知る存在となるために必要なこと

自治体や観光協会によるPRはもちろんのこと、観光系メディアでは松阪で楽しめる肉のグルメとして鶏焼き肉を紹介することは、今では定番となっている。2010年以前には無かったことだ。Do itとしても、地道に地元で美味しい鶏焼き肉を提供し続けてきた店側としても、雌伏の時はすでに過ぎたと言っても過言ではないだろう。

森下さんが今も昔も変わらず願うのは、地域一丸となって鶏焼き肉を盛り上げていくことである。今以上に鶏焼き肉を知ってもらうために、飲食店側ともっと強固な関係を築いて活動していくことが求められる日がいずれ来るかもしれない。現時点で具体的なプランがあるわけではない。でも、もっと何かできることがあるのではないかという思いは、森下さんの中にずっとくすぶっていている。

長きにわたり松阪の代名詞とも言える存在である“松阪牛”へのリスペクトは、市民の中で根強くある。だからこそ、鶏焼き肉が松阪牛と同じ“肉”という舞台に立ってこそいるものの、ライバル視というものが森下さんの中には無い。鶏焼き肉と松阪牛では歴史、文化、価格という点で比較対象としてはふさわしくないと言えるからだろう。ただ、鶏焼き肉が“松阪牛”に並び立つ名産品となれば、より多くの人に“松阪”のことを知ってもらう機会が格段に増える。そういう意味ではDo itが目指すべき目標としては、高くも身近な存在である。

⸺いつまでも“松阪牛”に頼っていられない。

鶏焼き肉を知るに連れ、そんな力強い声が聞こえてくるような気がする。

参考文献

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