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鶏・牛・豚の間にあるボーダーを超えて

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CRAFTRIPライター

河合 雅士

人が人を呼び込み、一度では解けない結ばれた縁

松阪市のように一つの地域で「鶏・牛・豚」の3つの肉がブランド化したのは非常に珍しいケースだろう。それぞれに共通点が無いわけではないが、基本的には個別に文化をつくり上げてきた。

どの肉もだが、記事中に登場してきた人たちに限らず、“自分たちの肉”が唯一無二でナンバーワンであるという思いはとても強い。そして周りの人を巻き込む熱量には圧倒されるものがある。新たな方向性を模索するための動きはここでは記しきれないほど多くの人が関わり、手を結ぼうとしている。

その好例が鶏焼き肉である。第2章にて、苦境に陥っていたDo itに相可高校食物調理科の先生が鶏焼き肉の調理方法などを指導したとのエピソードを紹介したが、実際にはDo itと相可高校の関わりはこれにとどまらない。活動初期のDo itはイベント出展などに利用する味噌ダレを既製品に頼っていたため、オリジナルのものをつくれないか模索していた。ただ、Do itには味噌ダレのレシピに関する知見はなかった。そのため、相可高校の食物調理クラブに協力を仰ぎ、コラボする形で新しい味噌ダレの開発に着手。調理クラブの生徒たちと試作を繰り返し2016年に完成させたのが「Do it! 松阪 公認商品『松阪鶏焼き肉のタレ』」である。一般消費者に向けても販売され、現在でも松阪市内のスーパーを中心に販売が続けられているロングセラー商品となっている。このオリジナル味噌ダレの共同開発者であり、製造販売しているのが地元松阪の企業である有限会社丸井食品三重工場(以下丸井食品)で、この丸井食品とDo itは今年新たな動きを見せている。

単独ではなく、タッグを組んで松阪の外へ

松阪市による令和4年(2022年)度の中小企業ハンズオン事業として丸井食品が選出された。その事業というのが「『松阪鶏焼き肉のタレ』を起点とした松阪市活性化プロジェクト」である。このハンズオン事業には丸井食品を中心に、「松阪鶏焼き肉のタレ」でタッグを組んだDo it、そこに食品卸の国分グループ本社株式会社と国分中部株式会社が参画している。

国分グループの歴史は長く、創業は1712年。國分家4代目勘兵衛(國分家の当主は代々勘兵衛を名乗っている)が江戸・日本橋本町に店舗を構え、創業当時は呉服とともに醬油醸造業を手掛けていた。この國分家は現在の松阪市出身の伊勢商人であったため、300年以上続く国分グループの発祥地は松阪とされている。

そんな松阪にゆかりのある事業者が協同し、地域活性化を目的に鶏焼き肉の普及を目指し、新製品の開発、全国へのプロモーションを展開していく予定となっている。

鶏焼き肉による町おこしは、もともとDo it単独での動きと言っても過言ではなかった。紆余曲折がありながら継続的な活動が実り、強力な仲間が増えていった。その力の結集によって、松阪を代表するソウルフードとして次第に認知されるようになっていった。

鶏焼き肉を提供する飲食店の方々が築いた礎の上に、今では松阪にゆかりがある複数の事業者と手を取り合い、外に打って出ようという大きな輪が生まれるまでに至ったのは、Do itが目指した町おこしが一つ形になった証だろう。

2022年度中小企業ハンズオン事業として今年から来年にかけてさまざま施策が行われる予定だ(写真提供:Do it)
2022年度中小企業ハンズオン事業として今年から来年にかけてさまざま施策が行われる予定だ(写真提供:Do it)

“肉のまち”として飛躍するためのスプリングボード

外に強く魅力を発信するのは民間の事業者だけではない。自治体や観光協会がそれぞれの肉を個別にプロモーションするだけではなく、“肉のまち”として売り出していこうという流れが松阪市にはある。

直近では“お肉のまち松阪プロモーション事業「レシートキャンペーン」”というプロモーションを今秋行う予定になっている。コロナ禍の影響で打撃を受けた松阪の観光業を盛り上げる施策となっており、松阪牛に限らず、市内でお肉を食べたり、買ったりすることで得たレシートでプレゼントに応募できるキャンペーンとなっている。

三重県観光連盟が展開しているWebサイト『観光三重』では、松阪牛とともに、鶏焼き肉と松阪豚が松阪を代表するグルメとして大々的に紹介されている。観光という側面で見たときに、3つの肉は強い訴求になっている。

一方で観光プロモーションを行う上で課題となっている点はある。第3章で特産松阪牛が貴重さゆえに食べることができるお店や機会が限られていることを記したが、これは松阪豚にも同じことが言える。松阪豚に興味を持ち、いざ食べようと思っても、現在松阪市内に松阪豚専門料理店があるわけではない。まつぶたに行けば、松阪豚を使った総菜を楽しむことはできるが、通年通して松阪豚を使ったランチやディナーを確実に楽しむ場所を見つけるのは簡単なことではない。関係する誰もが地域を代表する逸品と認めながらも、それを市外の人たちに対し、気軽に楽しんでもらえるお店を紹介することが難しいという状況は大きなボトルネックである。

対照的に鶏焼き肉は昭和の時代から松阪市内に飲食店が点在しているため、観光客の受け皿は豊富で、外へのアピールは行いやすい。市街だけではなく、郊外にも鶏焼き肉店があり、値段もお手頃で気軽に食べられることから、ドライブやツーリングの道中に訪れる人も多いという。

ただ、松阪豚に関してはこれから飛躍する時であり、実際に松阪豚を専門に取り扱いたいという声がまつぶたの橋本さんのもとに届いているという。特産松阪牛に関しては先に紹介した特産松阪牛の支援事業など、かつての松阪牛を取り戻そうという機運が生まれている。今は“肉のまち”としての飛躍をするためのスプリングボードをあらゆるところで設置しているような状況かもしれない。

鶏・牛・豚がタッグを組んだ先に見える未来

いろいろな動きがあるとはいえ、現時点で松阪が3つの肉がある“肉のまち”として地域外の人たちに認知されているかと言われれば、やはりまだ道半ばだろう。“鶏”も“牛”も“豚”も、その美味しさや魅力、バックグラウンドを知ったことで、人生を変えるほどの出会いをつくりあげている。それだけに、個々が持つポテンシャルの高さは計り知れない。

そうなれば、もし松阪の鶏・牛・豚がタッグを組んだらどうなるだろう、という疑問が自然と浮かんでくる。その答えを見つける動きが今年の夏から具体的に動き始めている。

正式な団体ではなかったが、以前より「松阪肉肉肉協会」という名で活動をしている人たちがいた。昨年時点では、記事中に登場した松阪豚の橋本妃里さんや鶏焼き肉の橋本博貴さんら4名で構成され、小規模ながらも松阪の肉に関わる事業者が連携して町おこしを行おうと画策していた。その一つとして、松阪の鶏・牛・豚を一つにした「松阪ドリーム弁当」の販売があった。

それが今年に入り「松阪肉肉肉協会」の活動を本格的に立ち上げようと、多くの事業者に声を掛け、一堂に会する機会がこの7月に生まれた。20人を超える事業者が市内で集まり、そこにはとりいちの田中さんやおう児牛肉店の小林さんも参加した。

初参加者が大多数を占める会合。それでもどのようにすれば3つの肉が協力し合うことができ、松阪を盛り上げていけるのか活発な議論が交わされた。例えば、肉のイベントを松阪市内で開催するというアイデアが挙がり、実現に向け動いていくことに。とはいえ、細部に関わるところはこれからつくり上げていくところだ。

その後となる今年の9月に、「松阪肉肉肉協会」は正式に「一般社団法人 松阪肉肉肉協会」として発足。理事長には橋本妃里さんが就任した。今秋には、協会として「松阪農業公園ベルファーム」の指定管理者に名乗りを挙げる予定となっている。松阪の肉をPRする新たな拠点づくりに成功すれば、これまで一部の人で留まっていた動きを拡大していくことが期待できる。

20名以上の松阪の肉に関わる事業者が集合した会合
20名以上の松阪の肉に関わる事業者が集合した会合

この「松阪肉肉肉協会」の動きを足掛かりに、それぞれの肉の間に引かれていたボーダーを超えて、手を携えようとする人が各方面から現れるのではないかという期待感は強い。これまでそれぞれの肉同士で争いがあったわけではないし、領域を侵食されるという恐れを持っていたわけではない。これまで3つの肉が重なるきっかけが無かっただけなのだと思う。それぞれの肉に対するリスペクトがあることは、取材を通じて十分に感じることができた。

もし、松阪市が“肉のまち”として全国的に知られるようになれば、「伊勢神宮からの寄り道で行く場所」としての立ち位置から、「松阪に訪れたい」という観光客のマインドシフトを促す一助となるはずだ。そうして観光業が盛り上がれば、時計が逆回転して、かつて賑わっていた松阪の姿が再び姿を見せる日が来るかもしれない。

松阪の魅力は“肉”だけではない。それでも、松阪にとって“肉”は今も昔も大きな光であることには変わりない。変わったことがあるのだとすれば、以前は「松阪牛」だけだったのが、「松阪鶏焼き肉」と「松阪豚」という新たな光が登場し、今はその3つが重なり合おうとしていることだろう。

ボーダーを超えてそれぞれの歩幅が横並びでそろったときに、寂しさを感じた時間はにぎやかな過去と明るく照らされている未来の隙間にいるだけだったと思える日が来るのではないだろうか。

参考文献

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