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河津町に吹く新しい風

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CRAFTRIPライター

原 万史子

地域おこし協力隊という選択

過疎化に苛まれる河津町だが、地域おこし協力隊の活動が活発で、隊員の定住が進んでいるという一面もある。

河津町の地域おこし協力隊一期生である池田さんは、まさにその動きに火をつけた先駆者だ。

河津町地域おこし協力隊一期生の池田さん
河津町地域おこし協力隊一期生の池田さん

神奈川県茅ケ崎市出身の池田さんは、現在河津町内で宿を営んでいる。もともと池田さんはバイクが好きで日本一周をしていた。その時にお世話になった方との出会いが、池田さんの人生を変えたそう。

その方は、移住の足がかりとして地域おこし協力隊として働いていたという。そして地域おこし協力隊卒業後は、自分で宿を経営し、念願の移住を果たしたそうだ。

若い人の中にも「田舎へ移住したい」と考える人がいる。しかし、住居はインターネット上でいくらでも探せるが、移住先での仕事やコミュニティづくりがネックとなり、実際に移住に踏み出せない人も多くいるのは確かだ。

池田さんも移住を考えていたが「仕事はどうやって探せばいいのだろうか」というところがネックになり、踏みとどまっていた1人だ。しかし、移住という夢を叶える手段として地域おこし協力隊を知り、行動に移すことができた。そうして、池田さんは河津町へと移り住むこととなった。

地域おこし協力隊という名前から「難しいことをするのではないか」と、嫌厭されてしまいそうだが、その仕事内容はさまざまである。河津町で活動する地域おこし協力隊の業務内容を例に挙げてみても、空き家バンクの運営や鳥獣駆除、コワーキングスペースの運営など、幅広く活動している。

地域おこし協力隊として活動するということは、「移住したい」と思う人にとって仕事やコミュニティづくりのきっかけとなると思うと、参加へのハードルは思っている以上に低いのかもしれない。

「河津は移住者に優しい町なんです」と池田さんは言う。きっかけこそ、実家も近く、海に面したこの環境が自分の肌に合っているからと、「肌感覚」で移住先として河津町を選んだ。しかし、実際に住んでみてその環境だけでなく、人の温かさに惹かれることに。

それこそ、前例がなかった「地域おこし協力隊」として受け入れてもらい、多くの方にお世話になったという。「若い人がいるっていうのが、町が活気づくひとつの手段だと思うんです」と、町のために何か恩返しをしたいと池田さんは考え、河津町に定住することとなった。

“道”が切り開く、河津の明るい未来

池田さんは「河津は静岡のハブになれる」と、その立地の良さに着目。そして、それを生かし、今後は若年層が来やすい町として河津を盛り上げるのに一役買いたいという野望を抱いている。

河津は文字通り「ハブ」になる計画がなされており、この3月には伊豆縦貫自動車道の河津七滝IC~河津逆川IC区間が開通される。これまで段階的に進められてきた伊豆縦貫自動車道の工事によって、新たに開通した区間ができたお陰で、これまで沼津から下田までの移動に110分かかっていたところ、およそ半分の60分で通行できるようになると試算されている。つまりは、下田より手前にある河津は、より都市部へのアクセスが容易になると言える。

伊豆縦貫自動車道開通のメリットとして、国土交通省は観光や救急活動について挙げている。確かに、カワヅザクラに依存する観光産業や、重とく患者の受け入れができる病院が町内にないという課題を抱えている河津町にとって、うれしい話だ。しかしそれ以上の効果として、「伊豆縦貫自動車道が河津まで開通することで沼津へアクセスしやすくなれば、河津をベッドタウンとして利用する人が増えるんじゃないかと思っています」と池田さんは言う。

これまでは、ループ橋や天城峠を超え、1時間以上かかっていた沼津~河津区間だが、大幅に時間を短縮して移動できるようになるのであれば、通勤の負担がかなり軽減されるのは間違いない。そのため、通勤時間が足かせとなり、移住ができなかった人がこれから移住を視野に入れることも考えられる。もしもこれが実現すれば、観光・救急活動の向上だけでなく、移住促進も叶うかもしれない……。 河津町が抱える課題解決の幸先は良いと言えるだろう。

移住を通して見つけた天職

地域おこし協力隊を経て河津町へ移住した人は、池田さんに限らない。現在「NPO法人 伊豆の田舎暮らし夢支援センター」で、空き家バンクアドバイザーを務める輿水さんもその一人である。

「NPO法人 伊豆の田舎暮らし夢支援センター」に在籍する輿水さん
「NPO法人 伊豆の田舎暮らし夢支援センター」に在籍する輿水さん

神奈川県鎌倉市出身の輿水さんは、31年間東京で不動産業に従事。趣味のフライフィッシングのために週末は河津町に通う生活を3年間送った。その様子をずっと見ていた奥様から「そんなに好きならば」と、河津町への移住を後押ししてもらったとのこと。

移住後は、特段就職は考えていなかったそう。しかし、輿水さんが移住したタイミングで、それまで20歳以上40歳未満と定められていた河津町における地域おこし協力隊の年齢制限が撤廃。「これもご縁だと思いました」と、これまでの経験を生かして河津町を盛り上げることに尽力しようと隊員となった。

現在携わっている空き家バンク事業は、輿水さんが地域おこし協力隊として活動しているときから推進していたもので、主に移住を検討している人に向け、Webサイトに河津町内の空き家を掲載。問い合わせがあれば実際に内見に同行し、契約まで行っている。

輿水さんが地域おこし協力隊として空き家バンク事業に携わり始めたころ、Webサイト上に掲載されている空き家情報は少なく、補助金制度も整備されていなかった。この事態を受け、これまで培ってきた不動産業の知識を生かして空き家情報や制度を充実化。環境が整い、「これから」という時に、新型コロナウイルス感染症流行に見舞われた。

「始めは、悔しさからかもしれません」と、空き家バンク事業を推進し続ける今を振り返る輿水さん。新型コロナウイルス感染症流行が猛威を振るう中、地域おこし協力隊の任期満了を迎え、思うような結果を残すことができなかったことが気がかりだったそう。そのため、地域おこし協力隊卒業後も空き家バンク事業を推進すべく、現在在籍する「NPO法人 伊豆の田舎暮らし夢支援センター」に参画した。

「天職だと思うんです」

「移住」という人生の岐路を、これまでの経験を生かしてサポートできる。輿水さんは、自身の仕事が大好きなんだと言っていた。そして、今後は今の仕事を通して、子育て世代の移住を支援していきたいと考えている。

町が少子高齢化という課題に頭を悩ましているのと同様に、輿水さんも現状に危機感を覚えている。同時に、自分の仕事をもってすれば、この課題の解決へ寄与できるのではないかと考えている。

実際、空き家バンクの情報が更新されるのを心待ちにしている人は多く、掲載してすぐに問い合わせがくることもあるという。これまで養ってきた不動産を見る目を駆使し、子育て世代に向いた空き家を紹介することも可能だろう。また、いずれは子育て世代のために町営住宅を貸し出せないかとも考えている。

「子育てするなら河津」という選択肢が作れるように、自分の仕事を通して町と協業できるのではないか。自分の仕事によって、町を元気づけることができるのではないか。輿水さんは、河津町のそんな未来を構想している。