廃校をキャンバスに、学生たちと残す地域の原風景

公開日更新日

CRAFTRIPライター

河合 雅士

廃校という顕在化した課題へのアプローチ

数ある地域資源の中でも、ネガティブな意味で存在感が急激に増している遊休不動産。かねてより潜在的な問題として認識はされていたが、全国各地で過疎化が進行する中で、無視できないものとなってきている。

その中の一つとして、学校の廃校問題がある。文部科学省によると、2022年に新たに廃校となった公立学校の数は全国で335校。これらが積み重なり、2002年から2022年までに廃校となった数は8580校にのぼり、そのうち25.9%となる1917校が活用されずに取り残されている。

茨城県かすみがうら市も例外ではない。廃校に限った話ではないが、遊休不動産に関しては行政としてもさまざまな対策に乗り出しているのは、本特集「かすみがうら市の地域資源から広がる共創の輪」でも紹介した通り。廃校についても官民連携を図りながら、さまざまな事業者とともに課題解決に向けて取り組んでいる。

その一例として、目を引く動きを見せているのが、廃校を活用したキャンプ場「CAMPieceかすみがうら(以下、キャンピースかすみがうら)」だ。旧霞ヶ浦町地区にあった旧佐賀小学校の跡地を改装し、2022年7月にオープンしたかすみがうら市の中でも新鋭といえるアクティビティ施設である。

ただ、キャンピースかすみがうらは廃校というロケーションを活用したキャンプ場でありながら、オープン当初から校舎をすべて活用できたわけではなかった。消防法に引っかかる建物がいくつかあり、しばらくは制約を抱えながら運営をしなければならないという、もどかしい船出となった。

キャンピースかすみがうらの入り口
キャンピースかすみがうらの入り口
教室を活用した内装
教室を活用した内装

学生×廃校キャンプ場による壁画制作

それでも諸所の問題を解決し、使用できていなかった校舎の一部を使えるようになると分かったのが2022年末。キャンピースかすみがうらは、新たに許可が下りた建屋を、キャンプ場を訪れるお客様のためにリノベーションすることを計画した。さまざまなプランが挙げられたが、まずは来訪者を向かい入れる受付の整備、シャワールーム / パウダールーム / ウォシュレットトイレの設置など、ユーザーの利便性を高めるところに手を付けることとなった。

校舎の入り口を抜けると当然靴箱があるのだが、それを除けば廃校となった小学校ということもあり、エントランスには殺風景な景色が広がっている。まず目に入るのは、くすんだ白色の無機質な壁。せっかく遊びに来ていただいたのに、このままではワクワク感が湧いてこない。キャンピースかすみがうらの責任者であり、校長でもある古峰 篤さんの頭を悩ませた。

靴箱など、小学校ならではのレトロ感がありながらも、どこか寂しげな雰囲気
靴箱など、小学校ならではのレトロ感がありながらも、どこか寂しげな雰囲気

そうした時に、ある大学院生が古峰さんのもとを訪ねたことで、一つのストーリーが走り始めた。

「修士論文に書くにあたって、廃校とアウトドアを掛け合わせたものをテーマにしようと考えていたところ、身近なところに事例があったので、かすみがうら市役所の方にお願いをして、キャンピースかすみがうらさんにお声がけをさせてもらったんです」

筑波大学で学ぶ横田 崇成さんは、進学を機に大学がある茨城県つくば市へ。この時はまだ、かすみがうら市とは縁もゆかりも無かった横田さんが、古峰さんにアプローチをしたのは2022年12月。「社会工学学位プログラム」を修めている横田さんの研究テーマの対象として、最も身近に存在していたのがキャンピースかすみがうらだった。

偶然にも廃校を研究テーマとしている学生とつながったことで、古峰さんは一つのアイデアが頭の中に浮かんだ。

「廃校の有効活用を研究しているということだったので、『協力してくれないか』ってお願いしたんです」

校舎のリノベーションを手掛けるにあたって、懸念事項の一つであったエントランスの壁。これをどのように活用するかということを一緒に考えてほしいと、古峰さんは横田さんに打診した。

「言われたときは具体的なアイデアは思い浮かばなくて。『とりあえず何かを描こう』とは思いましたが、すごくぼやっとしたところから始まりましたよね。一度こちらでもチーム体制を整えて、幾つか案を持ってきて提案しますというのが最初でした」

早速横田さんは、壁画アート制作に参加してくれるメンバー集めに奔走。壁画を描くのであれば、芸術専門学群で学ぶ学生が必要だと考え、友人を通じて声を掛けた。その他にも自分が所属する研究室からも参加者を募り、最終的には年齢も専攻も多様な総勢7名の筑波大学の学生が集い、自身がリーダーとして「壁画アートプロジェクト」に取り組むことになった。

壁画のテーマは地域にゆかりがあるものに、という思い

壁画アートとして彼らが描かなければいけないのは全部で2面。一つはエントランスの右側に大きく広がる壁。もう一つは、げた箱を抜けた先にある階段の外壁。検討をはじめると、せっかく描くのであれば、地域にゆかりのあるものがいいという意見で、まずはまとまった。

かすみがうら市、ひいては霞ヶ浦に面する旧霞ヶ浦町にとって象徴的な存在である“帆引き船”を題材にしようということは早い段階で決定。霞ヶ浦の水上に浮かぶ帆引き船は、かすみがうら市にとっての原風景である。これはエントランスの右側にある大きな壁に描くことに。

もう一つの階段の外壁は、その壁の形からバスがいいのではないかという話になった。ただ、普通のバスを描いても、地域にゆかりのあるものとは言えない。チーム一同で悩んでいたところ、地元の人から“でじま号”の存在を教えられた。でじま号は資料が多く残されているわけではないので、その出自や活動時期などははっきりとはしない。旧霞ヶ浦町は1997年に即日町制施行によって改称された町であるが、元々は出島村と呼ばれていた。その村名から名付けられたバスがでじま号である。

でじま号は通常の路線バスではなく、移動図書館として出島村の住民に愛されていたといわれている。でじま号が活躍していたのは昭和の時代。今とは違いスマホはもちろん、インターネット回線も無い環境。メディアといえば、テレビやラジオを除けば、書籍や雑誌が中心だった時代だ。娯楽を運んでくれるという点において、ただのバスでは無かったことは、時代背景からも想像することができる。

資料として残されているのは、1963年に撮影された白黒写真。それ以外には口伝された情報しか、彼らには残されていなかった。それでも、このようなバスがかつてあったということを地域住民に知ってもらうことにも大きな意義がある。そう考え、二つ目の壁画にはでじま号を描くことを決めた。

数回の打ち合わせを経て、実際に壁画へのペインティングを行ったのは2023年2月末から。帆引き船に関しては、プロジェクターで壁に帆引き船を投影し、それをなぞる形で描き上げていくことに。壁の高さは2.5メートル、幅は4メートル超え。黒色の塗料と刷毛で輪郭のみで帆引き船を表現することにした。しかし、輪郭だけとはいえ、巨大な壁一面に雄大な姿を表現するのは、それだけで一苦労だった。

壁一面に帆引き船を描く筑波大学の学生たち
壁一面に帆引き船を描く筑波大学の学生たち
でじま号はフリーハンドで丁寧に下書きを入れていった
でじま号はフリーハンドで丁寧に下書きを入れていった

横田さんの研究室の先輩であり、計画当初から今回の取り組みに参加していた奥村 蒼さんは当時のことを次のように振り返る。

「ほとんどのメンバーは壁に絵を描くことはもちろん、刷毛を使ったことがなかったので、それにまずは慣れなければいけなかったんです。なので、まずは帆引き船を塗る壁に下地の白を塗るとこから始めて、少しずつ刷毛の使い方を覚えていきました。帆引き船の線を書くにしても、多少粗くなってもそれが味になるので、細かいことを気にしなくてもいい帆引き船から描き始めたのは正解でしたね」

シンプルさゆえの難しさも当然横たわっていた。どのようにして船の奥行き感を出すか、そのための線の太さ、船の動きの感じさせ方など、筑波大学のメンバーはもちろん、キャンピースかすみがうらの古峰さんも時には議論に交じりながら、試行錯誤しながら制作を進めた。

一方のでじま号では、帆引き船とは異なる問題にぶつかってしまう。帆引き船とは異なり、作業環境の関係でプロジェクターが使用できず、まずはフリーハンドで下描きを入れることになった。でじま号の作業を主に担ったのは美術専門学群の学生たち。数少ない資料をもとにでじま号を再構築し、壁へと描いていった。色に関しては想像も頼りに、エントランスの中でいかに映えるようにできるかを計算し、塗料を何度も調色し、時には塗り直し、完成へ向けて筆を走らせた。

仕上がり具合を確認しながら、壁画を仕上げいく古峰さん(手前左)と筑波大学の学生たち
仕上がり具合を確認しながら、壁画を仕上げいく古峰さん(手前左)と筑波大学の学生たち

半月の制作期間を経て完成した2枚の壁画

作業を始めてからおよそ半月。同時に進められていたキャンピースかすみがうらのリノベーションが終了し、2023年3月17日にリニューアルオープンを果たした。そして、その前日となる16日に、壁画の完成披露が行われた。

廃校を活用したキャンプ場を舞台に、大学生 / 院生がボランティアで地域活性化のために取り組んだ壁画アートプロジェクトということもあり、新聞社をはじめケーブルテレビ局も取材に訪れ、その注目度の高さを伺わせた。

リノベーションは先述の通り、シャワールームやパウダールームの設置などが元々の目的であり、それらはキャンピースかすみがうらの職員によって手掛けられた。廃校によって主を失って眠っていた校舎を、レトロな学校の雰囲気を残しながら生き返らせた。

1階に設置された男性用シャワー室
1階に設置された男性用シャワー室
2階には女性用のシャワー室とパウダールームが設置
2階には女性用のシャワー室とパウダールームが設置

壁画は入り口を抜けた先にあるエントランスで見ることができる。入り口を抜けて右側に目を向けると、雄大な帆引き船の壁画が飛び込んでくる。先述の通り、壁画は帆引き船の輪郭を黒一色で描いたシンプルなもの。それゆえに、余計なものが排除され、帆引き船の壮大さと風情を余すことなく表現している。

「来ていただいた方に、かすみがうら市や霞ヶ浦を知る第一歩になってほしいという思いを込めました。こういう文化があったんだと、頭の片隅に残ってくれると嬉しいです」

横田さんは帆引き船の壁画に込めた思いをそのように語る。同じようにこの壁画アートに参加した、横田さんと奥村さんの研究室の後輩にあたる島村 和惟さんは、「私は昨年から卒業論文で、かすみがうら市の古民家再生ワーケーションに参加するなど、この地域とは縁がありました。だから、そのときの経験と今回の取り組みを通じて、かすみがうら市の素晴らしさを皆さんに知ってほしいと思うようになったんです。帆引き船の壁画を見て、かすみがうら市の歴史に興味を持ってもらって、近くにある歴史博物館に寄っていただくきっかけになってもらえると嬉しいです」と語ってくれた。

もう一つの壁画である、でじま号は帆引き船とは対照的に色彩豊かな仕上がりとなっている。デフォルメされたバスの側面には右から「でじま号」と記されており、背景には鮮やかな空が。シンプルな構成と配色ながら、エントランス全体を明るく包み込むような印象を与えている。

「思わず写真を撮りたくなるような色合いを意識して念入りに調整をしたので、訪れた方にとってのフォトスポットになってくれると嬉しいです。この“でじま号”が来ていただいた方の頭の片隅に少しでも記憶に残って、思い出になるような場所になってほしいですね」

でじま号のディレクションに深く関わった中村 碧流さんは、そのようにこの壁画への思いを語ってくれた。

エントランスに大きく描かれた帆引き船
エントランスに大きく描かれた帆引き船
エントランス正面に描かれた、色鮮やかなでじま号
エントランス正面に描かれた、色鮮やかなでじま号

完成した壁画に込められた願い

筑波大学の学生がそれぞれに願いと思いを込めて制作した壁画。これらのきっかけをつくったキャンピースかすみがうらの校長である古峰さんも、できあがった壁画への思いを次のように話してくれた。

「私はもともと“かすみがうら市の人ではないよそ者”でありながら、いろいろな人に助けてもらいながら、受け入れてもらい、ここまでキャンピースかすみがうらの運営を行うことができました。だから、この地域に何かを残したいという思いがありましたし、ここは本当に素晴らしいということを知ってもらいたいんです。それを実現できたのが今回の壁画なのかなと思っています。ここにはいろいろな魅力がありますし、この壁画がきっかけになって訪れる人が増えて、地域交流の場に育っていけるといいですよね」

“かすみがうら市の人ではないよそ者”という点においては、壁画制作に携わった筑波大学の学生も一緒だ。今回の取り組みを通じて、「かすみがうら市のことを好きになりましたか?」と聞いてみると、予定調和ではない思いがけない答えが返ってきた。

「正直(かすみがうら市が)メチャクチャ好きになったとかはないです」

そう語ったのはリーダーの横田さん。そして続けて次のように語ってくれた。

「でも、霞ヶ浦の水上バイクの話とかを古峰さんから聞いたりして、夏休みに行ってみたいなという気持ちになりました。古峰校長ご協力の元、BBQをしたのですが、廃校という特別な空間の中、行うことで通常のBBQでは味わえないどこか懐かしい気持ちを体験でき、楽しかったので、またしたいなと強く思いました」

同様に奥村さんも次のように話してくれた。

「僕、しらうお丼食べれてないんですよね(笑)。地元の人に帆引き船で獲れるって聞いて、『美味いんだよ』って教えてくれたんですけど、今の時期は食べられないんですよね(注:霞ヶ浦のしらうおの漁期は7月から12月)。だから、何としても食べたいっすね」

この二つの話は、一見今回の目的と外れているようにも思えるが、視点を変えて行政の立場から見てみると、学生たちからこのような発言が出たことは大きな意味がある。かすみがうら市で今回の取り組みをサポートした地域未来投資推進課の高井 淳さんは次のように語る。

「こうして壁画ができたことも非常に重要なことですが、それと同じくらい学生たちが『霞ヶ浦のシンボルって何だろう?』と、かすみがうら市のことを真剣に考えてくれたことが、とても嬉しく大切なことと思います。参加してくれた学生の中には、帆引き船のことを知らない人もいたくらいでした。でも、今回の取り組みを通じて、かすみがうら市のことを知り、色々と考えてくれて、興味を持ってくれました。最終的に『かすみがうら市で生活したい!』と思ってくれるのが理想ではありますが、地域外の学生たちと地域の事業者が関係性を築き、壁画をつくることによって、関係人口が生まれるきっかけになりましたよね。それが何よりも一番嬉しいです」

全国の地方自治体でさまざまな移住促進施策を打ち出しているが、思うように進まないのが現状だ。かすみがうら市の場合、本特集の「かすみがうら市の地域資源から広がる共創の輪」でも記した通り、十分な受け入れ態勢が整っていない現状もある。そのためにまずは企業誘致を進めたり、関係人口創出に焦点を当て、市を挙げて取り組んでいる。

かすみがうら市では産官学連携の取り組みを、ここ数年の間にさまざまな形で立ち上げている。今回の壁画アートプロジェクトをはじめ、行政が間をつなぐことで、民間による自発的な動きがもっと見えてくることを切に願っている。

これからも続く壁画制作の行く末

一端の区切りを見せた壁画アートプロジェクトであるが、これで終わりではない。当初の予定ではエントランスの出入り口付近の床にも塗装を行い、霞ヶ浦の水面を表現する予定だったが、今回のリニューアルオープンには間に合わなかった。今回の制作で主力を担った学生たちは、4月から本業となる学業に戻らなければならないため、これまで通り連日かすみがうら市まで出向いて制作を行うことは難しい。

そこで、全国各地で塗装ボランティアを行っている団体「塗魂ペインターズ」に今後は協力を仰ぐことになった。同団体を見つけてきたのは、先述の高井さんだ。

高井さんから依頼を受け、今回の取り組みを知った塗魂ペインターズは、二つ返事で今後の塗装に関しての協力を快諾。予定していたエントランスの床の塗装はもちろんのこと、それ以外の校舎の外壁など大掛かりな壁画制作も提案してくれた。学生たちも、「時間がある時にはぜひ参加したい」と早速声を上げている。

こうして、「筑波大学の学生」×「キャンピースかすみがうら」×「塗魂ペインターズ」×「かすみがうら市」という新たな共創の輪がかすみがうら市に生まれた。

今回の壁画制作が残したものは数多い。もともとはキャンピースかすみがうらのエントランスに彩を添えたいという古峰さんの思いから始まり、それが地域外の学生の協力・参加を呼び込み、地域にゆかりのあるものを残すという動きにつながっていった。実際にできあがった壁画は、訪れる多くの人を楽しませるものであると同時に、かすみがうら市への興味関心を促す一つのコミュニケーションツールに。制作に携わった当事者たちのかすみがうら市への関心を呼び込み、行政が望む関係人口の創出を叶えた。さらに、ここでストーリーは閉じず、今は第2章が走り始めたところだ。

産官学という立場の垣根を越えた、多くの人が交わる場所へと生まれ変わり、今まさにそのつぼみが、キャンピースかすみがうらで膨らみはじめたところだ。ここを起点にかすみがうら市全体に陽が当たり、大きな花が開いた未来もこの目で確かめたい。そう思った。

キャンピースかすみがうらと筑波大学の学生たちの共創は今後も続いていく
キャンピースかすみがうらと筑波大学の学生たちの共創は今後も続いていく

同じ特集の記事

  • 廃校をキャンバスに、学生たちと残す地域の原風景

    「CAMPiecreかすみがうら」は、廃校を有効活用したキャンプ場として2022年にオープン。地域との交流を大事にしながら運営を行っている同施設は、2023年初春に筑波大学の学生たちと壁画アート制作を行い、各方面から注目を浴びている。