1

過疎化に揺れるかすみがうら市“旧霞ヶ浦町地区”

公開日更新日

CRAFTRIPライター

河合 雅士

明暗分かれる“旧霞ヶ浦町地区”と“旧千代田町地区”

2022年4月、過疎化に関するショッキングなニュースが飛び込んできた。概要は次の通りとなる。総務省が2020年国勢調査の結果に基づき、過疎自治体数を公表。新たに65市町村が追加され、全国1,718市町村ある中で885市町村が過疎地域に指定された。このことは、1970年に過疎法が制定されて以降、日本の市町村の半数が過疎化指定された初めての出来事として、多くのメディアで報じられた。

過疎地域に指定されるには人口減少だけではなく、財政力の要件を満たす必要がある。さらに、管内全域が要件を満たしていなかったとしても、地域の一部が要件を満たすことで「一部過疎地域」として指定されることもある。そうして新たに一部過疎地域された一つが、茨城県かすみがうら市の旧霞ヶ浦町の地区だ。

かすみがうら市は霞ヶ浦町と千代田町が合併し2005年に誕生。東京都から約70キロメートルの場所に位置しており、北西部には筑波山がそびえ、南東部の陸地には霞ヶ浦が接している、自然豊かな地域として知られている。

旧霞ヶ浦町と旧千代田町の境目は、正確ではないがJRの線路を目安にすると分かりやすい。かすみがうら市にJRの駅舎は無いが、市境から100メートルほどの位置に神立駅(土浦市)がある。さらに旧千代田町地区には国道6号線と常磐自動車道などの幹線道路が通っており、2つのバス路線が運行されている。旧千代田町地区の住民の多くが神立駅周辺に住居を構えていることから、JR沿線は商業施設も充実し、旧千代田地区には市街地が形成され、生活環境は整っている。

その反面、旧霞ヶ浦町地区は旧千代田町地区に比べると交通インフラが整っていない影響もあってか、生活の利便性が良いとは言えない地域になっている。定期運行されている交通機関は旧霞ヶ浦町地区を横断する形で走っている「霞ヶ浦広域バス路線」のみで、生活する上では車は欠かせない。商業施設も恵まれているとはいえず、不便を要する場面は少なくない。

かすみがうら市の中で住宅地として人気を集めているのは、JR神立駅周辺となっている
かすみがうら市の中で住宅地として人気を集めているのは、JR神立駅周辺となっている

そのため、かすみがうら市の生活拠点は自然と旧千代田町地区が選ばれる傾向にある。過疎地域の人口要件の一つである、「長期人口要件」では旧霞ヶ浦町地区は18.3%減少しているのに対し、旧千代田町地区は21.7%増加。中期人口要件で比較しても旧霞ヶ浦町は-23.6%と大きく減少しているが、旧千代田町地区は-2.7%にとどまっている。もちろん、旧千代田町地区も山間部を中心に過疎化が進んでいるエリアがないわけではないが、行政的な区分で考えた場合、より深刻なのは旧霞ヶ浦町地区だ。

旧霞ヶ浦町地区を支えた霞ヶ浦水産業の今

旧霞ヶ浦町地区の過疎化が進んだ要因は一つに絞れるものではないが、遠因とも言えるのが第一次産業の衰退だ。同地区は、もともと肥沃な土地と霞ヶ浦の水産資源を生かし、第一次産業で栄えていた地域だった。ただし、産業別就業者数を見てみると、1980年には半数近く(48.3%)いた第一次産業の従事者は、40年後となる2020年には16.8%まで減少。このような状況は全国各地で起こっていることとはいえ、決して看過できることではないだろう。

旧霞ヶ浦町地区にとって特に深刻なのは、霞ヶ浦で行われている内水面漁業である。従事者の高齢化や後継者問題などが、大きな課題であることに間違いはない。しかし、それ以前に大きな問題として横たわっているのは漁獲量の減少である。

今なお霞ヶ浦で漁業は行われているが、年々従事者は減少し、漁業権を放棄する人も増えているという
今なお霞ヶ浦で漁業は行われているが、年々従事者は減少し、漁業権を放棄する人も増えているという

霞ヶ浦は琵琶湖に次いで日本第2位の面積を誇る湖で、茨城県の面積の3.5%を占めている。旧霞ヶ浦町地区はそんな霞ヶ浦に覆われているような土地ということもあり、古くから内水面漁業が行われていた。江戸時代には厳しい漁業規則があり、幕府や藩の方針で干拓事業が大きく展開していたことも影響して、漁業よりも農業が主流だった時期もあった。その後、明治時代に入るとそうした規則の拘束力が失われたことに加えて、1901年には漁業法が制定。新しい漁業組合が組織化されると、もともと漁業資源が豊富だった霞ヶ浦漁業は勢いを取り戻す。

このころの霞ヶ浦の漁業は「ワカサギ・シラウオ」が中心で、次いで「テナガエビ・ハゼ」という関係性にあった。しかし、1960年代を境に大きな変化が生まれた。それまで風を頼りにした帆引き船漁から、1965年以降に風の影響を受けず漁ができる、強力なエンジンを積んだトロール船漁が普及。これは霞ヶ浦の漁業にとって大きなターニングポイントとなり、漁獲量は一気に増加した。

トロール船の登場は生態系にも変化をもたらした。ワカサギはテナガエビやハゼの稚魚を捕食するため、帆引き船漁時代はワカサギの漁獲量が多かった。しかし、トロール船の登場によってワカサギを根こそぎ漁獲できるようになり、霞ヶ浦内にいるワカサギが大きく減少する時期が生まれるようになる。その結果、敵対関係にあったテナガエビとハゼにとって、好適な環境が生まれることになった。そうして1965年以降は「ワカサギ・シラウオ」と「テナガエビ・ハゼ」の漁獲量の関係が逆転する年が増え、霞ヶ浦の水産業に大きな変化をもたらした。

その後しばらくは「テナガエビ・ハゼ」を中心に漁獲量を伸ばしていったが、1978年をピークにして漁獲量は減少へと転じていく。水質変化、ブラックバスを中心とした外来種の増加、繁殖育成場である水生植物帯の減少。考えられる要因は一つに絞れるものではなく、先述した以外のことも含めて、原因は複合的なものと考えられている。

最近では温暖化による水温の上昇によって、高温環境が苦手なワカサギとテナガエビの漁獲量の減少が顕著になっている。この二つに比べて比較的高温に強いシラウオは、漁獲量の明確な減少傾向は見られないが、増えているわけでもない。現在の霞ヶ浦漁における主な収入源は「ワカサギ」「シラウオ」「テナガエビ」の3種であるため、いずれの漁獲量が減っても漁師への打撃は大きい。

それに輪をかけて漁業従事者の高齢化が霞ヶ浦にはある。一昔前であれば、我が子を後継者に立てることで、当たり前のように世代交代を繰り返していたことが、今ではレアなケースになっている。

魚が獲れなければ、生活だっておぼつかない。好きだけではやっていけない現実がここにはある。だから、自分の子どもたちに跡を継がせようという気にはならない。そうして、霞ヶ浦の漁業従事者は減少の一途をたどっている。

参考文献

同じ特集の記事